神社合祀が開いた歴史の扉|津堂八幡神社と失われた古墳の発見

神社合祀が開いた歴史の扉|津堂八幡神社と失われた古墳の発見

2025年7月1日

明治の終わり、全国の村々でひっそりと進められた「神社合祀」。
神様が祀られていたたくさんの小さな神社が、一つにまとめられて姿を消していきました。

藤井寺でも、津堂八幡神社をはじめとするいくつもの社が合祀され、地域の人々は戸惑いや寂しさを感じながら、その変化を受け入れました。

けれどその出来事は、思いもよらない「歴史の扉」を開くきっかけになります。

失われた神社の記念碑を建てるために掘られた小さな山から、なんと千年以上も眠っていた巨大な棺が姿を現したのです。

神社合祀がもたらしたのは、信仰の終わりだけではなく、過去の物語を呼び覚ます新たな発見でした。

この記事では、津堂八幡神社の数奇な運命と、合祀が生んだ歴史のドラマをたどります。

神社をひとつにまとめたら、歴史の扉が開いた

明治時代の終わりごろ、日本全国でたくさんの神社がひとつにまとめられていきました。
この出来事を「神社合祀(じんじゃごうし)」といいます。

藤井寺の津堂八幡神社(つどうはちまんじんじゃ)もそのひとつでした。
明治40年、神社を別の場所へ合祀することが決まり、境内に記念碑を建てることになりました。

ところが、その石を用意するために小さな山(城山)を掘っていると、思いもよらないものが出てきたのです。

土の中から現れたのは、とても大きな石の棺(ひつぎ)。
これは千年以上も昔の立派な古墳の一部で、調査の結果、巨大な前方後円墳だと分かりました。
この古墳は後に「津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)」と名づけられ、世界文化遺産に登録されるほど貴重な遺跡だったのです。

もし神社の合祀がなければ、この大発見はもっと先の未来まで知られなかったかもしれません。
神社を失った人々にとっては複雑な気持ちでしたが、この偶然が歴史の謎をひとつ明らかにするきっかけになりました。

そもそも、なぜ神社を減らしたのか

この神社合祀は、ただの思いつきではなく、いくつかの理由がありました。

当時、日本は日露戦争を終えたばかりで、国も地方も深刻な財政難に苦しんでいました。
町や村が新しく作られ、住民をまとめる方法も模索されていました。

政府は考えました。

「小さな神社があちこちに散らばっていると、お金も手間もかかる。
いっそまとめて、大きく立派な神社を中心にしよう」

こうして生まれたのが神社合祀政策です。

神社合祀の三つの目的

神社を減らすには、三つのねらいがありました。

  1. 地域の心をひとつにする(神社中心自治)
    村や町に一つの神社を据え、住民の結束を深める。

  2. お金の負担を減らす(経済の合理化)
    たくさんの小さな神社を維持するより、まとめた方が費用を抑えられる。

  3. 信仰心を強める(敬神の意識)
    立派な神社に集まることで、神様への敬意がより深まると考えられた。

とくに財政負担の軽減は、もっとも大きな理由でした。

法律ではなかった「神社合祀令」

「神社合祀令」という言葉を耳にしますが、実際にその名前の法律があったわけではありません。

1906年に出された二つの勅令(天皇の命令)が合祀の基準をつくりました。

  • 勅令第96号
    条件を満たす神社にだけ公費を支給できると定めた。

  • 勅令第220号
    廃止した神社の土地を合祀先の神社に渡せるようにした。

つまり「合祀をしなさい」という命令ではなく、条件を整えて強く推奨する仕組みだったのです。

全国で消えたたくさんの神社

この政策は役所を通じて各地に広まりました。

表向きは「住民の同意で進める」とされていましたが、実際には役人が強く合祀を進めることも多くありました。

その結果、日本全国にあったおよそ20万社の神社のうち、約8万社が姿を消したといわれています。

とくに三重県では9割の神社がなくなり、和歌山県や愛媛県でも同じように多くの神社が合祀されました。

神社を守ろうと立ち上がった南方熊楠

そんな中、神社の消滅に強く反対した人もいました。

和歌山県の学者、**南方熊楠(みなかたくまぐす)**です。

熊楠は「神社をなくせば自然も心も荒廃する」と訴え、新聞に意見を寄せたり国会議員に手紙を書いたりして全国に反対の声を届けました。

この運動がきっかけで、大正時代に入ると無理な合祀はだんだんと減っていきました。

藤井寺の神社合祀

藤井寺の村々でも、明治40〜41年に6社が合祀されました。

  • 津堂八幡神社は産土神社に合祀

  • 長野神社と野中神社は辛國神社に合祀

  • 大山咋神社・志疑神社・国府八幡神社は黒田神社に合祀

しかし、道明寺村では由緒ある神社が多かったため、すべてを一つにすることはできませんでした。

戦後、再び戻ってきた神社

戦争が終わり、GHQによる「神道指令」で国家神道は解体されました。

神社は地域の人々が支える宗教法人として再出発します。

これをきっかけに、失われた神社をもう一度元の場所に戻す「復社」が全国で進められました。

津堂八幡神社も1948年にふたたび元の地に戻ることができました。

神社合祀が残した教訓

神社合祀は多くの神社を失い、地域の信仰や風景を変えてしまいました。

ですが、津堂八幡神社の合祀は思いがけない発見を生むことになりました。

何百年も人知れず眠っていた古墳が、偶然のきっかけで姿を現したのです。

神社がなくなる寂しさと、歴史の謎が解き明かされる驚き。

その両方を、私たちは忘れずに語り伝えていくべきでしょう。

世界遺産

数字と体験で知る世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」—スケールと価値を歩いて感じる

古墳は誰もが知る歴史のシンボルです。けれど、これほど巨大で圧倒的な存在感を放ちな…
kyouseiya.gloomy.jp