津堂城山古墳|失われた天井石を探せ!藤井寺の巨大古墳の物語

津堂城山古墳|失われた天井石を探せ!藤井寺の巨大古墳の物語

2025年7月1日

藤井寺市の住宅街に、ひっそりと佇む巨大な古墳があります。
その名も「津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)」

ここはただの古墳じゃありません。
なんと全長208m、百舌鳥・古市古墳群の中で一番北に位置し、築造されたのは4世紀後半。
つまり…めちゃくちゃ古いんです。

墳丘サイズは大王級。
当時の“スーパーヒーロー”レベルの人物が眠っていた可能性が高いと言われています。

僕の予想では年代的にもスーパーヒーローってところも含め「ヤマトタケル」の陵墓だと思っているよ

百舌鳥・古市で一番古い古墳・允恭天皇の陵墓かも?

この古墳、百舌鳥・古市古墳群の中では“最年長”で、築造もとても早い時期と考えられています。

1912年、後円部を掘ってみると、
中から現れたのは長持型の巨大な石棺。

その上にドーンと乗っていたのは7枚の大きな天井石です。

石棺の中からは鏡や鍬などの副葬品も出土し、これらは宮内庁により「允恭天皇の陵墓かも?」とされました。
でも、時代がちょっと合わないらしく、真実はいまだに謎のままです。

ちなみに、本来この古墳は全長400m超え。
二重の堀があり、外堀まで含めるとモンスター級の規模でした。
今は住宅地になり、墳丘と内濠だけが残っていますが、上空から見ると、かすかにその輪郭が分かります。

ここから僕たち水鳥型埴輪も出てきたんだよ
僕たちは「シュラホール」に展示されているから見に来てね

古墳が城に変身!?津堂八幡神社の数奇な運命

津堂城山古墳の後円部には、津堂八幡神社があります。

この神社もなかなか波乱の人生。
戦国時代、三好康長という武将が「ここで勝利祈願しよう」と祈祷所にしたため、古墳は「小山城」というお城に改造されてしまいました。

ところが、1575年に織田信長が河内に攻め込み、高屋城攻略の前線基地だった小山城はあえなく落城。
津堂八幡神社も巻き添えで燃えてしまいます。

その後も、大和川の氾濫で社殿が流され、神社合祀で別の神社に吸収され…。
「もう勘弁して…」と言いたくなるほど、何度も移転・再建を繰り返しました。

最終的に1950年にやっと現在地に戻り、ようやく落ち着いたという、苦労人(?)の神社です。

伝説の天井石と謎の消失

さて、この古墳にはちょっとしたミステリーがあります。

竪穴式石室を守るため、7枚の巨大な天井石が石棺の上に乗せられていました。
この石を地元の人が掘り出したことで石室が発見され、研究が進んだのですが・・・。

ところがこの7枚の石…。
その後どうなったかというと――

  • 2枚は埋め戻される

  • 1枚は民家の庭石

  • 1枚は津堂八幡神社の記念碑

  • 1枚はその記念碑の土台

  • 1枚は葛井寺の忠魂碑

  • 1枚は小山善光寺の敷石

  • 1枚は専念寺の庭石

…あれ?
数えると8枚あるんですけど!?

いまだに「本当は何枚あったの?」という謎は解けていません。
なんともロマンがありますよね。

現在の津堂城山古墳

津堂城山古墳

今の津堂城山古墳は、内濠が花畑になり、周辺は藤井寺市民の憩いの場。
季節ごとに花が咲き、イベントも行われる、ちょっとほのぼのした空間です。

でも、足元に目を凝らすと、
「この地に大王が眠り、城が築かれ、神社が焼かれ…」
そんな歴史の積み重ねが感じられる不思議な場所です。

津堂城山古墳データ

  • 築造時期:4世紀後半

  • 全長:208m

  • 高さ:16.9m

  • 墳形:前方後円墳

  • 埋葬者:不明(允恭天皇説あり)

  • 立入:可能

  • 備考:全国31位の規模


津堂城山古墳は、ただの古いお墓じゃありません。
失われた天井石、戦国の城、何度も移転する神社――
「知られざる物語」がぎゅっと詰まった藤井寺の歴史遺産です。

ぜひ一度、実際に歩いてその空気を感じてみてください。

津堂城山古墳

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