藤井寺市の住宅街に、ひっそりと佇む巨大な古墳があります。
その名も「津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)」
ここはただの古墳じゃありません。
なんと全長208m、百舌鳥・古市古墳群の中で一番北に位置し、築造されたのは4世紀後半。
つまり…めちゃくちゃ古いんです。
墳丘サイズは大王級。
当時の“スーパーヒーロー”レベルの人物が眠っていた可能性が高いと言われています。
百舌鳥・古市で一番古い古墳・允恭天皇の陵墓かも?
この古墳、百舌鳥・古市古墳群の中では“最年長”で、築造もとても早い時期と考えられています。
1912年、後円部を掘ってみると、
中から現れたのは長持型の巨大な石棺。
その上にドーンと乗っていたのは7枚の大きな天井石です。
石棺の中からは鏡や鍬などの副葬品も出土し、これらは宮内庁により「允恭天皇の陵墓かも?」とされました。
でも、時代がちょっと合わないらしく、真実はいまだに謎のままです。
ちなみに、本来この古墳は全長400m超え。
二重の堀があり、外堀まで含めるとモンスター級の規模でした。
今は住宅地になり、墳丘と内濠だけが残っていますが、上空から見ると、かすかにその輪郭が分かります。
僕たちは「シュラホール」に展示されているから見に来てね
古墳が城に変身!?津堂八幡神社の数奇な運命
津堂城山古墳の後円部には、津堂八幡神社があります。
この神社もなかなか波乱の人生。
戦国時代、三好康長という武将が「ここで勝利祈願しよう」と祈祷所にしたため、古墳は「小山城」というお城に改造されてしまいました。
ところが、1575年に織田信長が河内に攻め込み、高屋城攻略の前線基地だった小山城はあえなく落城。
津堂八幡神社も巻き添えで燃えてしまいます。
その後も、大和川の氾濫で社殿が流され、神社合祀で別の神社に吸収され…。
「もう勘弁して…」と言いたくなるほど、何度も移転・再建を繰り返しました。
最終的に1950年にやっと現在地に戻り、ようやく落ち着いたという、苦労人(?)の神社です。
伝説の天井石と謎の消失
さて、この古墳にはちょっとしたミステリーがあります。
竪穴式石室を守るため、7枚の巨大な天井石が石棺の上に乗せられていました。
この石を地元の人が掘り出したことで石室が発見され、研究が進んだのですが・・・。
ところがこの7枚の石…。
その後どうなったかというと――
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2枚は埋め戻される
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1枚は民家の庭石
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1枚は津堂八幡神社の記念碑
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1枚はその記念碑の土台
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1枚は葛井寺の忠魂碑
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1枚は小山善光寺の敷石
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1枚は専念寺の庭石
…あれ?
数えると8枚あるんですけど!?
いまだに「本当は何枚あったの?」という謎は解けていません。
なんともロマンがありますよね。
現在の津堂城山古墳

今の津堂城山古墳は、内濠が花畑になり、周辺は藤井寺市民の憩いの場。
季節ごとに花が咲き、イベントも行われる、ちょっとほのぼのした空間です。
でも、足元に目を凝らすと、
「この地に大王が眠り、城が築かれ、神社が焼かれ…」
そんな歴史の積み重ねが感じられる不思議な場所です。
津堂城山古墳データ
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築造時期:4世紀後半
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全長:208m
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高さ:16.9m
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墳形:前方後円墳
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埋葬者:不明(允恭天皇説あり)
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立入:可能
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備考:全国31位の規模
津堂城山古墳は、ただの古いお墓じゃありません。
失われた天井石、戦国の城、何度も移転する神社――
「知られざる物語」がぎゅっと詰まった藤井寺の歴史遺産です。
ぜひ一度、実際に歩いてその空気を感じてみてください。

