「古墳」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?
ただの“天皇のお墓”?
世界遺産のひとつ?
…いえいえ。
この巨大すぎる墓は、当時の権力者たちが全リソースを注ぎ込み、文字通り“国家総動員”で築いたメガプロジェクト。
古墳時代という看板の裏では、税金、権威、外交戦略が渦を巻き、最新テクノロジーとプロパガンダが交錯していました。
「墓」としてだけ見ていたら、半分も面白さが分かりません。
そこには、ひとつの“国”を動かす壮大な物語が埋まっているのです。
今回は、世界遺産リストにも名を連ねるこの古墳を、通説を超えて“ちょっと違う目線”から覗いてみます。
見上げるだけではわからない、埋葬されなかった真実も一緒に。
今回紹介する古墳は古市古墳群の顔とも言える超巨大古墳の「誉田御廟山古墳」を紹介します。
目次
「誉田御廟山古墳」でっかいだけじゃない「巨大プロジェクト」最前線

誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)は、宮内庁が第15代応神天皇の陵墓に治定している古墳で、通称「応神天皇陵」とも呼ばれています。
全長425メートルを誇る日本で2番目に大きな前方後円墳で、古市古墳群の中でも象徴的な存在です。
巨大な三重の濠と美しい鍵穴型の墳丘は、当時の権力と土木技術の粋を集めて築かれたといわれています。
多くの天皇陵は埋葬者が本当にその人物か確証が薄い場合が多いのですが、この誉田御廟山古墳に関しては、立地や規模、記録などから実際の応神天皇の陵である可能性が非常に高いと著者は考えています。
**応神天皇(おうじんてんのう)は、日本の第15代天皇とされる人物で、『日本書紀』では誉田天皇(ほむたのすめらみこと)**と呼ばれています。
4世紀後半から5世紀初頭に実在したと推定される古代の大王で、さまざまな渡来人の技術や文化を積極的に取り入れ、国家の発展に大きな影響を与えたと伝えられています。
のちに武運の神「八幡神」と同一視され、全国各地で軍神としても厚く信仰されるようになりました。
全長425メートル、日本第2位のサイズ。
「はいはい、日本の古墳はみんなデカいんでしょ」と思った人はちょっと待ってください。
この古墳、ただの権力誇示のために盛られた土の山じゃない。
いうなれば当時の最先端“国家プロジェクト”のショーケースです。
土木技術のモンスター現場
425メートル級の前方後円墳を作るのに、いったいどれだけ土を盛ったか想像してみてください。
古墳研究者の計算では、おおよそ東京ドーム2杯分の土量。
しかもあの完璧な鍵穴シルエットを崩さず、幾何学的に整えた上で、
周囲をきっちり二重三重の濠で囲む。
当然、建設には全国から人が動員された。
「土運び」「石積み」「木材調達」「葺石(ふきいし)」それぞれの専門職人がいた。
現代の感覚でいえば、
**「アベンジャーズ級の職人オールスター」**を全国から召集して建てた
壮大なプロジェクトです。
応神天皇“没後プロパガンダ”の象徴
応神天皇は実在性が比較的高い古代天皇といわれています。
でも、この古墳がどれだけ大規模に整備されたかを見ると「あ、死後にめちゃくちゃ神格化されてるな」と誰もが気づく。
つまり、応神天皇の死後、
当時の支配層が
✅列島支配の正統性
✅半島外交の権威
✅「神の末裔」ブランディング
これを一気にパワーアップさせるために、
この巨大墳丘が“パブリックシンボル”として必要だった。
ここはただの墓ではなく、**「国の頂点は誰か」**を視覚的に見せるメディアでもあったわけです。
巨大な謎の数々
誉田御廟山古墳には「まさかこれも埋まってるんじゃ…?」という怪しい話が山ほどあります。
たとえば、
🔸主墳の内部構造は未発掘(宮内庁管轄で調査不可)
🔸陪塚(ばいちょう)の古墳群はどこまでが同時期か不明
🔸濠の中の石敷き遺構の謎
🔸祭祀の道具の多様性
巨大すぎるがゆえに全貌は現代も“未解明のまま”です。
考古学的にいえば、「見えているのに何もわかってない日本最大級の空白地帯」という感じなんです。
応神天皇を祀る“神格化セット”
誉田御廟山古墳の周辺には、応神天皇を八幡神として祀る信仰が根付いていきます。
近くにある誉田八幡宮はその最たる例。
このセットができあがったのは平安時代以降。
もともと埋葬施設だったはずの古墳が、**「神の座」「軍神の座」**にバージョンアップされていったんです。
現代の目で見た“ハコモノ行政”の先祖
この古墳の存在を現代の税金感覚で置き換えると「地方にムリヤリ作られた超巨大スタジアム」です。
めちゃくちゃインフラを費やし、膨大な人手を動員して作り、運用維持にも相当なコストがかかる。
それでも「見栄と正統性が必要だから」という理由で造営された。
言ってみれば“大古墳は古代王権のハコモノ行政”。
そんな視点で眺めると、この巨大古墳は歴史の中でずっと「権威の象徴として維持され続けた不思議な遺産」だとわかります。
誉田御廟山の見どころ
🔸長大な三重濠の美しいプロポーション
🔸墳丘裾の葺石の迫力
🔸陪塚群に広がる小古墳の「見えないネットワーク」
🔸八幡信仰が育んだ周辺の神社仏閣
これらをただ“史跡”として見るのではなく、「ここが国家プロパガンダのメディアだった」と思って歩くと、ちょっとゾクっとする魅力があります。
古墳めぐりのあとに、ほっとひと息。

古墳巡りで疲れたら誉田御廟山古墳から歩いてすぐの場所に筆者もたびたび訪れる小さな名店があるのでそこで食事をするのはいかがですか?
それが**「そば切り 蕎香(きょうか)」**。
落ち着いた和の佇まいの店構えで、店内も静かでゆったりとした時間が流れています。
店主が厳選したそば粉を使い、毎日丁寧に打ちたてを提供しているこだわりのお蕎麦屋さん。
喉ごしが良く香り豊かな味わいを目当てに訪れるお客様も多いそうです。
古墳めぐりの余韻を感じながら、ひと口ずつ味わってみてはいかがでしょうか。
ランチタイムは混み合うこともありますので、時間に余裕をもって立ち寄ってみてくださいね。
🏷 まとめ
誉田御廟山古墳は「ただ大きい古墳」ではありません。
古代日本の権力が人と資源と宗教を総動員して作った“巨大な物語の器”。
表から眺めるだけでも、その威圧感が千数百年前の空気をいまに伝えています。
そのスケールと物語の深さは、写真や解説では伝わりきらないものがあります。
ぜひ一度、自分の足で歩き、その空気に包まれてみてください。
きっと「ただの古墳」ではない何かが、あなたにも感じられるはずです。

