藤井寺市といえば、古市古墳群や道明寺天満宮で有名ですが、
実はこの街、古代から何度も名前を変えてきた歴史があります。
古代には「恵我(えが)」と呼ばれ、
室町〜戦国時代には市場の町「古市」として栄え、
そして昭和に入ってから「藤井寺」という市名が誕生しました。
この記事では、藤井寺の地名がたどった変遷を、歴史的背景とともにわかりやすく解説します。
古代の藤井寺は「恵我郷」と呼ばれていた
藤井寺一帯は、古代には河内国石川郡の中でも**恵我郷(えがのさと)**と呼ばれていました。
この地名は『日本書紀』や『古事記』にも登場し、推古天皇や蘇我氏のゆかりの地として知られます。
特に有名なのが、蘇我馬子が関わったとされる**恵我長野西陵(用明天皇陵)**です。
また、推古天皇が生まれた地としても伝承が残っており、古代史ファンには外せないスポットです。
地名「恵我」の意味
「恵」は潤い・豊かさを意味し、「我」は集落や土地を指す古語です。
つまり「恵我」は、水と実りに恵まれた豊かな里という意味合いを持ちます。
実際、この地域は石川と大和川に挟まれた肥沃な平地で、古墳時代から多くの人が暮らしてきました。
室町〜戦国時代、古市の町として発展
時代が下り、**室町時代から戦国時代(14〜16世紀)になると、恵我郷の一部は古市(ふるいち)**と呼ばれるようになります。
その名の通り「古くからの市(いち)」を意味し、河内の交通の要所として市場が開かれ、経済的にも発展しました。
古市周辺は、世界遺産にも登録された古市古墳群の中心地であり、古墳文化と市場文化が交差する独特の地域となりました。
古市の広がりと藤井寺市との関係
現在の古市駅周辺は、藤井寺市の東部から羽曳野市北部にまたがります。
近鉄南大阪線の古市駅がその名残を今に伝え、町名や商店街にも「古市」の名が残っています。
近代、「藤井寺市」の誕生
昭和34年(1959年)、藤井寺市が誕生します。
市名は、古代寺院の**葛井寺(ふじいでら)**に由来しています。
この寺は聖武天皇の勅願寺と伝えられ、千手観音像(国宝)を安置する名刹です。
市制施行によって「恵我」や「古市」の名は市名からは消えましたが、
町名や駅名、学校名にその名残が生き続けています。
今も残る古い地名たち
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恵我之荘(えがのしょう):近鉄南大阪線の駅名や住所に残る
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古市:駅名・町名として現存
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道明寺:古代からの寺院名がそのまま地名に
地名は変わっても、その土地の記憶は形を変えて受け継がれています。
まとめ
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藤井寺の古代地名は「恵我(えが)」で、推古天皇や蘇我氏と深く関わる地域だった
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室町〜戦国時代には市場町「古市」として発展し、経済・交通の要衝となった
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近代に「藤井寺市」となり、古い地名は一部に残っている
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地名の変遷は、そのまま地域の歴史の変遷を映し出す
藤井寺を歩くとき、駅名や町名に残る「恵我」や「古市」の響きに耳を傾けてみてください。
そこには、千年以上続く人々の営みと物語が詰まっています。

