誰もが知っておくべき「活断層」と地震の記憶
阪神・淡路大震災の衝撃は、活断層という存在を日本中に知らしめました。
多くの方がテレビのニュース映像を通じて都市直下型の大地震の恐ろしさを目の当たりにしました。
1995年1月17日
当時私は29歳で大阪府八尾市で美容室を経営していました。
早朝、地鳴りの音で目が覚めた直後、強烈な揺れに襲われたことは今も恐怖体験として残っています。
当時経営していた店の被害は、神戸の方たちと比べると軽いものでしたが数々の什器や設備が壊れ暫くは営業が出来なかった体験をしています。
そして2011年、東日本大震災で再び地震の現実に心をえぐられる体験をしました。
震源から遠く離れた関西でも、ゆっくりと大きく揺れる長周期地震動が感じられ、「日本列島に安全地帯はない」と強く実感した人も多いはずです。
さらに記憶に新しい新潟県の地震も、私たちに自然の脅威を突きつけました。
そんな中、藤井寺市にも確かに存在するのが、南北に走る2本のライン「活断層」「撓曲」という地形です。
誉田断層
藤井寺から羽曳野にかけて約4km延びる断層で、応神天皇陵(誉田御廟山古墳)の西側を貫いています。
この断層は生駒活断層系の一部とされ、古墳の築造後にも活動した可能性が指摘されています。
誉田御廟山古墳の墳丘前方部北西側が崩れているのは、
永正7年(1510年)8月8日に発生した大地震の爪痕である、という説があります。
実際、この地震は大和・山城・摂津・河内を襲い、当時の記録にはこう記されています。
「大和・山城、大風大地震仕、
天王寺石鳥居ユリ崩レ、
同藤井寺ノ本堂忽ニクツレヌ、
前代未聞ノ世間ノサタナリ」
摂津の四天王寺では石鳥居や本尊が崩壊。
藤井寺の剛琳寺(現在の葛井寺)では多宝塔が倒壊し、その後再建されないまま現在に至ります。
応神天皇陵の崩れもこの時の被害だとされ、500年以上経った今もその痕跡は残っています。
この時の揺れは震度6程度だったと推定されます。
古墳や遺跡を静かに覆うこの地の土も、かつて激しく震えた歴史を忘れていません。
羽曳野撓曲
撓曲とは、地層が断層の力でたわんでできた地形のことです。

羽曳野撓曲は羽曳野から富田林、河内長野まで南北に約15km続く緩やかな段差地形です。
羽曳野丘陵を形作り、市の南部では比較的はっきりした段差が見られます。
葛井寺の東門側でも、道路と境内の間に明らかな高低差がありますがこれも羽曳野撓曲により作られた高低差です。
これらの高低差は数万年という時間をかけて積み重ねられてきた「地球の動きの証」です。
活断層が私たちに語ること
現時点で誉田断層や羽曳野撓曲が今すぐ大地震を起こすというデータはありません。
しかし、動かないのではなく、動いていないだけです。
注目される生駒断層帯や上町断層帯、南海トラフ地震のリスクを考えると、
この地域も例外ではないことを私たちは知っておくべきでしょう。
断層は遠い地質学の話ではなく、
私たちの家の下にある「未来の揺れの可能性」です。
「確率が低いから安心」ではなく「わかっていないから注意も必要」
実は誉田断層(応神陵を横切る断層)について、現時点で「何%の確率でいつまでに地震を起こす」という具体的な数字は公表されていません。
理由としては:
✅ 調査や研究の対象としては生駒断層帯や上町断層帯ほど注目されていない
✅ 地表に明瞭な段差は確認されているものの、活動履歴の詳細や平均活動間隔の科学的データが十分に集まっていない
日本では活断層の評価をする際、地震調査研究推進本部が「主要活断層帯」を選定し、地震発生確率を推定しますが、誉田断層はこの「主要活断層帯リスト」には入っていません。
(※近隣では「生駒断層帯」が主要活断層として注目されています)
つまり、
🔹 誉田断層も過去に動いた痕跡は確実にあり(永正7年の1510年地震の可能性も指摘)
🔹 断層の変位は確認されている
🔹 でもどれくらいの間隔で活動するのか、次に動く可能性はどれほどか、現段階では未解明
という状況です。
要するに、
「確率が低いから安心」と言えるものではなく、「わかっていないから注意も必要」という段階
と考えた方がいいです。
阪神淡路大震災、東日本大震災、新潟の地震、そして永正の大地震――
これだけの教訓があるのに、「備えなくても大丈夫」とはもう言えません。
備蓄や家具の固定、防災計画の確認。
どれも小さな行動かもしれませんが、その積み重ねが命を守ります。
もしこの地域を訪れる機会があれば、誉田断層や羽曳野撓曲の段差を見てください。
目に見える「地震の歴史」が、未来への警鐘を鳴らしています。
今を生きる私たちにできるのは、過去の記録から学び、
未来に備えること。
✅ 家具固定
✅ 非常食・水
✅ 安全な避難経路確認
小さな備えが、大きな被害を防ぐかもしれません。

