まるで歴史のミステリー小説みたいな事実。
古墳ファンに衝撃が走った事実がつい最近になって公表されました。
なんと、日本最大級の古墳の中に**「巨大な秘密の部屋」**が隠れていたと言う事実・・・
実はこれ、90年も前に調査でわかっていたのに、その記録がずっと封印されていたのです。
なぜこれが衝撃かというと――
✅ 天皇の墓を掘った公式調査は、この一例だけ
✅ 古墳は王様ひとりの墓じゃなく「仲間も一緒に葬った共同のお墓」かもしれない
✅ 日本史の常識を変えるかもしれないのに、ずっと隠されていた
最近になって「本当にあった」と確認され、考古学界だけでなく多くの人が驚いています。
「古墳なんて興味ない」という人も、この話だけは一度知っておいて損はありません。
目次
日本最大級の「巨大なお墓」に隠されていた、知られざる秘密の部屋

大阪・羽曳野市に、とんでもなく大きな古墳があります。
その名も誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)。
全長425メートル。東京ドームなら余裕で飲み込むほどのサイズです。
でも、実はこの古墳――
「ただデカいだけ」じゃなかったんです。
誉田御廟山古墳は本当に謎だらけで、想像がどこまでも膨らむのがたまらなく面白い。
✅ なぜ川の流れを変えてまで、あの場所に築いたのか?
✅ なぜ隣の二ツ塚古墳を潰さず、わざわざ不格好な形にして遠慮するように造ったのか?
✅ なぜ応神天皇の没年と築造年代にズレがあるのか?
こういう問いが次々に湧いてきて、まさに「歴史という大きなミステリー」に向き合っている感覚になります。
応神天皇陵ではないとする説も多いけれど、やはり私としてはここが応神天皇の陵墓だと思っています。
堺の御廟山古墳に最初に葬られ、その後この誉田の地に改葬されたと考えると年代のズレも説明がつきますし、何より御廟山古墳との共通点が多すぎる。
✅ そして、今回明らかになった「前方部の埋葬者は一体誰なのか?」
それに、今回の調査で浮上した「別の埋葬者の存在」という新しい謎が加わり、またしばらくはこの話でお酒が楽しめそうです。
昭和9年(1934年)、関西を襲った室戸台風で、古墳の一部が崩壊
調査に入った旧宮内省の職員たちが、誰も予想していなかったものを見つけたのです。
巨大な“秘密の部屋”があった。
それは南北約7メートル、東西約4.5メートルもの大きな竪穴式石室。
今で言えば「大型地下シェルター」級のスケールです。
しかも古墳の後円部ではなく“前方部”に埋まっていたのです。
ここはずっと「お供えの儀式をするスペース」と考えられてきた場所です。
それが、実は権力者の側近や家族を眠らせた別室だったかもしれない――。
この発見は、考古学的に衝撃でした。
「一人の王の墓」どころか、王と仲間たちを一緒に祀る“巨大共同墳墓”の可能性が浮上したのです。
けれど…。
その石室は中を開けることなく、そっと埋め戻されました。
なぜか?
宮内庁が「天皇陵の神聖さ」を守るため、追加の発掘を控えたからです。
だからこの調査記録も、長い間ひっそりと封印されてきました。
旧宮内省職員の心境を想像してみる
昭和9年、室戸台風が大阪を襲った翌朝。
「うわあ……これはえらいこっちゃで」
どえらい被害の中で、誉田御廟山古墳の一部が崩れてしまった。
慌てて現地に駆けつけた宮内省の職員たちは、泥だらけの墳丘を見上げて唖然とする。
「おい…なんか見えてへんか、これ…?」
「……いや、あれは……天井石や。でっかい石室が埋まっとる……!!」
一同、頭の中が真っ白になる。
これまで「前方部はお供えの儀式の場所や」って習ったやないか。
それがまさか、こんな秘密の部屋が潜んでるとは…。
「え、これ……報告書に書いたら……わしらクビちゃうか……」
「いやでも…隠したら隠したで、後でバレたら……」
「そ、そもそも…どうする?掘る?調べる?……いや、あかんやろ、天皇陵やし……」
「でも…もしかしてこの中に、なんか国宝級の何かが入っとったら……」
「それより世間に発表したら『前方部にも埋葬者がいた』て大ニュースやで!考古学会が大騒ぎになる!」
「いや…ほら……神聖な御陵やし……。あんまり好奇心でガチャガチャ言うたら…バチあたるんちゃうか……」
「……どうしよ……報告書だけこっそり作って……埋めとくか……?」
「……埋めよか……」
(数分の沈黙)
「……埋めよ。」
こうして、南北7メートル、東西4.5メートルの巨大な石室は、見なかったことにされ、そっと土に戻されました。
職員たちは帰り道に無言でタバコを吸いながら、心の中でこうつぶやいたでしょう。
「……なんや、めちゃくちゃ大発見してもうた気がするけど……
まあええか。……これ、報告書だけ金庫に入れとこ。」
そして約90年。
その“見なかったこと”が、ようやく日の目を見たのでした。
でもこういう想像をすると、巨大古墳の裏には意外と人間臭いドラマが隠れている気がして面白いですね!
埋葬者は誰だ
以下は通説・異説・研究仮説を含む予想リストです(※断定はできません)。
✅ 応神天皇の近親者(后妃・王子)
今回見つかった前方部の石室は、応神天皇に近い血縁者や側近を一緒に葬った「共同埋葬」の可能性も指摘されています。
たとえば:
・応神天皇の皇后(妃)
・仁徳天皇(子)に近い王子・王女
・有力家臣や政権を支えた豪族
✅ 別の大王(古墳時代の有力支配者)
・応神天皇と同時代の大王
・王権確立に関わった有力王族
・後世に「応神陵」として習合された別の支配者
✅ 神格化のプロセスで埋葬者の記憶が塗り替えられた人物
誉田八幡宮の八幡信仰との結びつきから「応神天皇=八幡神」とする信仰が成立する過程で、別人の古墳が応神陵とされた可能性も議論されています。
✅ 移葬説の応神天皇
「最初は堺・御廟山古墳に葬られ、のちに誉田御廟山古墳に改葬された」という仮説の場合、やはり埋葬者は応神天皇自身と考える事も出来ます。じゃあメインの埋葬者は誰なのか?と言う新たな謎も同時に浮上します。
「絶対にこの人物だ」と断定はできませんが、応神天皇を中心に、その家族・側近も一緒に葬られた「巨大共同墳墓」の可能性がある――
これが今回の石室発見で一層現実味を帯びた大きなポイントです。
今もなお、425メートルの土の中に眠る謎の部屋。
そこには、古代日本を動かした人々の本当の物語が隠れているのかもしれません。
「ただの古墳でしょ?」と思っているあなたも、もし近くを通りかかったら、ちょっと目を向けてみてください。
そこは、まだ誰も解き明かしていない巨大なタイムカプセルなんです。
ちなみに…
「体積日本一」と言われていた誉田御廟山古墳ですが、最近の研究で仁徳天皇陵に抜かれてしまったのは地元民としてちょっぴり残念。
でも、それもまたこの古墳の愛すべき一面ですね
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